人はなぜ“好き”だけで生きてはいけないのか?

■ はじめに:「“好き”を仕事に」は美談なのか?

「好きなことで、生きていく。」

一時期、YouTuberのキャッチコピーとして流行語のように使われたこの言葉。
だが、時が経ち、こう思い始めた人も多いのではないだろうか。

「好きなことだけやって、果たして人は生きていけるのか?」

答えを先に言おう。
好きなこと“だけ”では、人は生きていけない。
だが、その理由を「現実は甘くないから」だけで片付けてはいけない。

この記事では、“好き”の本質を深掘りし、「なぜそれだけで生きるのが難しいのか」、そして「それでも“好き”をどう活かせばいいのか」という問いに、真正面から向き合ってみたい。


■ 「好き」は報酬ではなく、燃料

まず前提として、“好きなこと”は、私たちにエネルギーを与える。
例えば音楽が好きな人は、聴くだけで心が潤うし、描くことが好きな人は、何時間でも夢中になれる。

けれど、それを「生きる手段」にする瞬間、その“好き”は燃料からノルマになる可能性を孕んでいる。
好きだったはずのことが、義務やプレッシャーに変わる。
その違和感を多くの人が感じたことがあるはずだ。

“好き”とは本来、自発的なもの。
しかし、生きるために“消費”され始めると、やがて燃え尽きる。


■ 「社会的価値」の視点が欠けていると破綻する

もう一つ大切なのは、“好き”には社会との接点が必要ということだ。

たとえば「絵を描くのが好き」という人がいたとしよう。
でも、その絵が「誰かの心を動かす」ものでなければ、それは趣味にとどまる。
逆に、たとえ本人にとっては「まあまあの好き」でも、それが人を助けたり笑顔にしたりすれば、それは“仕事”になる。

つまり、**「好き × 他者への貢献」= 持続可能な“価値”**なのだ。


■ 好きを守るために「やらなきゃいけないこと」が必要

「“好き”だけでは生きられない」と言うと、それがネガティブな意味に聞こえるかもしれない。
でも実は、“好き”を守るために、好きじゃないことをやるという考え方もできる。

例えば、漫画家志望の人が、生活費を稼ぐためにアルバイトをしている。
それは、「夢を捨てている」のではなく、「夢を生かすための地盤を整えている」ということ。

“好きなことだけをやる”よりも、**“好きなことをやり続けられる土台を作る”**方が、ずっとクリエイティブで、戦略的なのだ。


■ “好き”が壊れる3つの落とし穴

以下の3つは、誰しもが一度は落ちかける“好き”のワナである。

1. 承認欲求との混同

「好きでやってる」ように見えて、実は「褒められたい」「評価されたい」という欲で動いていることがある。
評価が落ちると、“好き”も揺らいでしまう。

2. 比較に疲れる

同じジャンルの“上手い人”と比較して、自分の“好き”が恥ずかしくなる。
いつの間にか“好き”だったことが、自己否定の材料に。

3. 収益化のプレッシャー

「稼げないと意味がない」という視点が強すぎると、楽しみが減り、仕事としても続かなくなる。
“好き”に対して「見返りを期待しすぎる」と壊れてしまう。


■ “好き”を「副主人公」にすると、うまくいく

では、どうすれば“好き”を大切にしつつ、生活と折り合いをつけられるのか?

答えはシンプル。
“好き”を人生の“副主人公”にすること。

主役は「健康」「収入」「家族」「責任」など、現実を生き抜く力。
その脇で、“好き”は自分のエネルギー源であり、支えであり、彩りを与える存在。

主役になれないからといって、脇役の価値が下がるわけではない。
むしろ、“好き”が脇にあるからこそ、人生はドラマチックになる。


■ おわりに:「好き」から逃げない。でも、執着しない。

「“好き”だけで生きていけない」——それは諦めではない。
むしろ、もっと深い理解への第一歩だ。

“好き”とは、「あなたは何者なのか?」という問いに答えてくれる羅針盤である。
ただし、羅針盤だけでは船は進まない。
帆も、舵も、地図も、そしてときには“風向き”に合わせる知恵も必要だ。

“好き”に振り回されるのではなく、“好き”を使って生きていく。

その視点が、これからの時代を強く、そして優しく生き抜くヒントになる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です