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■「宿題やったの?」「まだ」「早くしなさいよ!」の無限ループ
「宿題しなさい!」
それは、親としてつい口にしてしまう“おまじない”のような言葉。
夕飯の支度をしているとき、テレビを観ている子どもを見ると、言いたくなる。
「今のうちにやっておきなさいって、何度言ったらわかるの!」
でも、その言葉をかければかけるほど、なぜか子どもは動かなくなる。
反抗的な態度。無言の不満。鉛筆をわざと落としたり、机に突っ伏したり。
──「勉強してほしいだけなのに、なんでこんなにギクシャクするんだろう?」
私がその疑問と向き合ったのは、子どもが小学校3年生のある夏の夜だった。
■転機は「もう言うのやめよう」と決めた日だった
その日も同じように、「宿題は?」「今やろうと思ってたのに…」というやりとりがあった。
だけど、ふと私は、これが“親が勝手に演じているルーティン”だと気づいた。
まるで、台本のある劇を繰り返しているような虚しさ。
そこで私は、ひとつの決断をした。
「今日から“宿題しなさい”は言わない」
ルールはこうだ。
- 宿題の有無は子ども自身に任せる
- 終わってなくても怒らない
- 代わりに「何か手伝うことある?」とだけ声をかける
不安だった。「このまま何もしなかったらどうしよう」とも思った。
でも、子どもを信じると決めた。
それが、“命令”をやめて、“信頼”に切り替えた最初の瞬間だった。
■最初の数日は…案の定やらなかった
もちろん、いきなり劇的な変化が起きたわけではない。
「今日はやらない」
「明日の朝でいい」
「先生ゆるいから大丈夫」
──そうやって、サボっているように見える日もあった。
でも、私は何も言わなかった。
その代わり、子どもが読書していたら「それ面白い?」と聞き、
自由研究に悩んでいたら「何が好きだったっけ?」と一緒に話した。
子どもの“学ぶ力”を信じようと決めたら、私の言葉が変わった。
■「ママ、今日、ちょっとだけ早く宿題やってもいい?」
その変化は、3日目に訪れた。
夕方、子どもが自らノートを開き、
「ちょっとだけやっておく」と言い出した。
びっくりした。
声もかけてないのに、机に向かった。
「えらいね」ではなく、ただ一言、
「ありがとう、やってくれてうれしい」と言った。
すると子どもは、少し照れたように笑った。
■“やらされる”から“やりたい”へ
それからは、驚くほどスムーズだった。
自分のペースでやるから、集中力が続く。
間違ってもイライラしない。
「先生に褒められた!」と報告してくれることも増えた。
子どもが変わったというより、
“信じてもらえた”という感覚が、子ども自身を変えたのだ。
勉強すること自体は昔から変わっていない。
変わったのは、「誰のためにやるのか」という意識。
それが、「怒られないため」から「自分のため」になっただけだった。
■まとめ|子どもが動くのは、命令じゃなく“信頼”で満たされたとき
「宿題しなさい!」という言葉は、
もしかしたら“親自身の不安”をぶつけているだけだったのかもしれない。
でも子どもは、自分のタイミングで、自分なりに学ぼうとしている。
その芽を信じて見守ることが、いちばんのサポートだった。
勉強を通して育つのは、学力だけじゃない。
「自分を信じてくれる人がいる」という感覚は、何よりの土台になる。
親が“言うこと”をやめたとき、子どもは“考える”ようになる。
そしてそのときはきっと、子どもの中で「学ぶ」が「楽しい」に変わる瞬間でもあるのだ。