日ソ国交回復の日
1956(昭和31)年のこの日、モスクワのクレムリンで、日本の鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が「日ソ国交回復の共同宣言(日ソ共同宣言)」に調印した。
ソ連はサンフランシスコ平和条約に調印しておらず、日本とソ連との戦争状態が続いたままになっていた。北方領土問題で激しく対立したため、領土問題は棚上げにされたままとなった。
1956(昭和31)年のこの日、モスクワのクレムリンで、日本の鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が「日ソ国交回復の共同宣言(日ソ共同宣言)」に調印した。
ソ連はサンフランシスコ平和条約に調印しておらず、日本とソ連との戦争状態が続いたままになっていた。北方領土問題で激しく対立したため、領土問題は棚上げにされたままとなった。