3月
14
ホワイトデー
3月 14 終日

ホワイトデー

2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。バレンタインデーのチョコレートに対しキャンデーやマシュマロをお返しするのが一般的になっている。

日本でバレンタインデーが定着するにしたがって、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和50年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデー等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。

この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会が「ホワイトデー」として催事化した。そして1978(昭和53)年、全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980(昭和55)年に第1回のホワイトデーが開催された。

ホワイトデーを3月14日に定めたのは、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策にそむいて結婚しようとした男女を救う為、バレンタイン司教が殉教し、その一箇月後の3月14日に、その2人は改めて二人の永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来する。

3月
15
靴の記念日
3月 15 終日

靴の記念日

日本靴連盟が1932(昭和7)年に制定。

1870(明治3)年のこの日、西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した。

陸軍の創始者・大村益次郎の提案によるもので、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作る為に開設された。

3月
16
国立公園指定記念日
3月 16 終日

国立公園指定記念日

1934(昭和9)年のこの日、内務省が、瀬戸内海・雲仙(現在の雲仙天草)・霧島(現在の霧島屋久)の3か所を国立公園に指定し、日本初の国立公園が誕生した。

国立公園はわが国の風景を代表する自然の景勝地で、環境大臣が指定した公園である。現在、29の国立公園が指定されている。

3月
17
漫画週刊誌の日
3月 17 終日

漫画週刊誌の日

1959(昭和34)年のこの日、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』『少年サンデー』が発刊された。

当時は読み物が中心で、漫画は少ししか載ってなかった。

3月
18
精霊の日
3月 18 終日

精霊の日

柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日がこの日であると伝えられていることから。

3月
19
カメラ発明記念日
3月 19 終日

カメラ発明記念日

1839年のこの日、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明した。

この写真機は「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、長時間露光させるため写真機の前で長い間じっとしていなければならなかったが、大変な人気を集めた。

ミュージックの日
3月 19 終日

ミュージックの日

音楽関係者の労働団体・日本音楽家ユニオンが1991(平成3)年に制定。

「ミュー(3)ジック(19)」の語呂合せ。

日本の音楽文化と音楽家の現状について広く理解を求め、その改善の為の支持を得ようと、全国各地でさまざまな活動が行われる。

3月
20
電卓の日
3月 20 終日

電卓の日

日本事務機械工業会(現 ビジネス機械・情報システム産業協会)が1974(昭和49)年に、日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定。

1964(昭和39)年3月18日にシャープが国産初の電卓を発売したことを記念し、記念日は覚えやすいように3月20日とした。

3月
21
国際人種差別撤廃デー
3月 21 終日

国際人種差別撤廃デー(International Day for the Elimination of Racial Discrimination)

1966年の国連総会で制定。国際デーの一つ。

1960(昭和35)年のこの日、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69人が死亡した。この事件が国連が人種差別に取り組む契機となった。

界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。

3月
22
放送記念日
3月 22 終日

放送記念日

日本放送協会(NHK)が1943(昭和18)年に制定。

1925(大正14)年のこの日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が日本初のラジオ仮放送を始めた。

東京・芝浦の東京高等工芸学校に仮スタジオを設け、午前9時30分、京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」という第一声が放送された。

元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入予定の日本にたった1台しかない放送用送信機が、同じく設立準備中の大阪放送局に買い取られてしまった。

そこで東京放送局は、東京電気研究所の送信機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日の逓信省(後の郵政省)の検査で「放送設備は未完成のため3月1日からの放送はできない」と判断されてしまった。既に3月1日から放送を開始すると報じており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験放送」という形で逓信省の許可を受け、なんとか3月1日から放送を開始することができた。

22日には逓信省から正式に免許を受けて仮放送を開始し7月12日に愛宕山からの本放送が開始された。大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を開始した。