4月
6
城の日
4月 6 終日
城の日

4月6日は「城の日」です。

「しろ(4月6日)」と読む語呂合わせから、日本の城郭の保存や活用を目的として、1974年に公益財団法人日本城郭協会が制定しました。

「城の日」の目的

  • 城郭の重要性を再認識し、文化財としての価値を広く知ってもらうこと
  • 城郭の保存・活用を促進し、後世に伝えること
  • 城郭を観光資源として活用し、地域活性化に貢献すること
4月
7
世界保健デー
4月 7 終日
世界保健デー

4月7日は「世界保健デー」です。

1948年4月7日、世界保健機関(WHO)の設立を記念して、1950年に制定されました。

「世界保健デー」の目的

  • 世界中の人々が健康について考え、行動する日
  • WHOの活動を広く知ってもらい、世界の健康問題に対する関心を高めること
  • 人々の健康と福祉を向上させるための活動を促進すること
4月
8
花まつり(灌仏会)
4月 8 終日
花まつり(灌仏会)

4月8日は「花まつり(灌仏会)」の日です。

花まつり(灌仏会)は、仏教の開祖であるお釈迦様の誕生日を祝う仏教行事です。

お釈迦様は、今から約2500年前の4月8日に、現在のネパールにあたるルンビニーで生まれたとされています。

花まつりでは、お釈迦様の誕生を祝うために、お寺の境内や庭に花で飾られた「花御堂(はなみどう)」を作り、その中に誕生仏像を安置します。

参拝者は、誕生仏像に甘茶をかけてお祝いします。

4月
9
大仏の日
4月 9 終日
大仏の日

4月9日は「大仏の日」です。

752年4月9日、奈良・東大寺の大仏(通称「奈良の大仏」)が完成し、その開眼供養会(かいげんくようえ)が盛大に執り行われました。この日を記念して「大仏の日」が制定されました。

奈良の大仏は、聖武天皇の発願によって745年に制作が開始されました。正式名称は「盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)」で、大乗仏教における仏の一つである盧舎那仏を表しています。

4月
10
駅弁の日
4月 10 終日
駅弁の日

4月10日は「駅弁の日」です。

駅弁の日は、1993年に日本鉄道構内営業中央会が制定しました。

その由来は、

  • 4月は駅弁の売れ行きが良い行楽シーズンであること
  • 「弁当」の「当(とう)」から10日
  • 洋数字の「4」と漢数字の「十」を合わせると「弁」の字に見えること

など諸説あります。

駅弁は、鉄道の旅には欠かせないものです。各地の特色を生かした駅弁は、旅の楽しみの一つとなっています。

4月
11
ガッツポーズの日
4月 11 終日
ガッツポーズの日

4月11日は「ガッツポーズの日」です。

1974年(昭和49年)のこの日、東京・日大講堂で行われたボクシングWBC世界ライト級タイトルマッチで、挑戦者のガッツ石松がチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)にKO勝ちしました。

そのときコーナーポストによじ登ってとったポーズを、マスコミが「ガッツポーズ」と表現しました。

このことから、4月11日が「ガッツポーズの日」として制定されました。

メートル法公布記念日
4月 11 終日
メートル法公布記念日

4月11日は「メートル法公布記念日」です。

1921年(大正10年)4月11日、「メートル法」の採用を法制化した改正「度量衡法(どりょうこうほう)」が公布されたことに由来しています。

メートル法は、フランスで生まれた国際的な単位系で、長さの単位「メートル(m)」、質量の単位「キログラム(kg)」などを基本としています。

4月
12
パンの記念日
4月 12 終日
パンの記念日

4月12日は「パンの記念日」です。

日本で初めてパンのようなものを焼いたのは、砲術の研究家・江川太郎左衛門で、1842年(天保13年)4月12日に伊豆韮山の自宅の庭で作ったとされています。

これを記念して、パン食普及協議会が1983年(昭和58年)3月に、毎年4月12日を「パンの記念日」と制定しました。

また、毎月12日を「パンの日」として、全国のパン屋さんがより一層のサービスに努めることも定められました。

4月
13
喫茶店の日
4月 13 終日
喫茶店の日

4月13日は「喫茶店の日」です。

1888年(明治21年)4月13日、東京・上野に日本初の本格的な喫茶店「可否茶館(かひいさかん)」が開業したことに由来しています。

「可否茶館」は、コーヒーを飲みながら知識を吸収し、文化交流をする場としてオープンしました。

決闘の日
4月 13 終日
決闘の日

4月13日は「決闘の日」です。

1612年(慶長17年)4月13日、山口県下関市の巌流島(船島)で、剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたことに由来しています。

宮本武蔵と佐々木小次郎は、当時を代表する剣豪であり、その決闘は多くの人々の関心を集めました。

決闘は、小次郎の得意技である「燕返し(つばめがえし)」を武蔵が見切り、木刀で小次郎を打ち倒したことで、武蔵が勝利しました。