1918(大正7)年のこの日、富山県魚津の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こし、全国にまで広がった米騒動の始りとなった。
米の需要拡大に生産が追いつかなかったことや、米の輸入が自由化されなかったこと等により米価が急騰した。また、民本主義の普及に伴って反政府的気分が高騰し、異常な米価の高騰をきっかけに全国的な騒動が激発した。
魚津の運動を皮切りに富山湾沿岸一帯で米価引き下げ・困窮者救済の要求運動が発生した。これが新聞で報道されると、8月10日に名古屋と京都で大騒動が起こるなど全国に波及し、騒動は9月17日まで続いた。警察だけでは鎮圧できずに軍隊まで投入され、30人の死者と多数の負傷者を出した。