建国をしのび、国を愛する心を養う
国民の祝日。
1966(昭和41)年から国民の祝日になった。
この日はかつて「紀元節」という祝日だったが、戦後になってこの祝日は廃止された。1951(昭和26)年頃から復活の動きが見られ、1957(昭和32)年以降9回の議案提出・廃案を経て、1966(昭和41)年に、日附は政令で定めるものとして国民の祝日に追加された。
建国記念の日の日附については内閣の建国記念日審議会でも揉めたが、10人の委員のうち7人の賛成により、2月11日にするとの答申が1966(昭和41)年12月8日に提出され、翌日政令が公布された。
「建国記念日」ではなく「記念の日」なのは、建国された日とは関係なく、単に建国されたということを記念する日であるという考えによるものである。
1875(明治8)年のこの日、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務附けた。
江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、1870(明治3)年9月19日に出された「平民苗字許可令」により、平民も苗字を持つことが許された。しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を附けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。そこで明治政府は、1874(明治7)年の佐賀の乱を力で鎮圧するなど強権政府であることを誇示した上で、この年苗字の義務化を断行した。
西暦269年のこの日、兵士の自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、時のローマ皇帝の迫害により処刑された。それから、この日がバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加えられ、恋人たちの愛の誓いの日になった。
ヨーロッパでは、この日を「愛の日」として花やケーキ、カード等を贈る風習がある。
女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のもので、1958(昭和33)年にメリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始りである。1年目は3日間で3枚、170円しか売れなかったが、現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となった。
一箇月後の「ホワイトデー」に返礼のプレゼントをする。
北海道幌加内町の「天使の囁きを聴く会」が1994年に制定。天使の囁きとは、空気中の水蒸気が凍ってできるダイヤモンドダストのことである。
1978(昭和53)年のこの日、幌加内町母子里の北大演習林で氷点下41.2℃という最低気温が記録された。
しかし、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、1902(明治35)年1月25日に旭川市で記録された氷点下41.0℃が公式の日本最低気温となっている。
これをプラスイメージに変えようと、町内の若者グループが中心となり、この日ダイヤモンドダストの観察等厳冬の一夜を体験する「天使の囁きを聴く集い」を1987(昭和62)年から開催している。