4年に1度(ただし400年に97日)の閏年には、2月28日の翌日に閏日として29日が入る。これは、1年の日数が365日ではなく365.2422日なので、そのずれを調整する為である。西暦の年が100で割り切れ、かつ、400で割りきれない年は閏日を入れない平年になる。
なお、国によっては2月24日と25日の間に閏日「2月24日」を置き、以降の日を1日づつずらすとしている。これは、紀元前713年にローマ暦に閏日が導入された時以来の伝統であるが、日本の暦には採用されなかった。
英語では閏日のことをleap day(跳躍の日)と言う。これは、普段の年はその前年の同じ日より1つだけ曜日がずれるが、閏年の翌年は2つずれる、つまり、曜日を1つ飛び越える(leap)からである。
かつてイギリスでは、4年間のうちでこの日だけ女性から男性へのプロポーズが伝統的に公認され、男性はそれを断わることはできないとされていた。
日本政府が1981(昭和56)年に制定。
1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。
北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。
江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。
第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。